摂食障害って、拒食と過食を繰り返しちゃうみたいなんだけど、話を聞いたら人の中にあるそれぞれの地獄をずーっと彷徨って抜け出せないようなすさまじい壮絶な話だった。
あたしがNYで悩んだり笑ったり、遭難したり酔いつぶれたりしてるときに、自分の友達はそんな生きるか死ぬかを彷徨ってたなんて衝撃だった。
高校のときは、誰よりもおっぱいが大きくてぷにぷにしてて食べることが大好きだったヒヨコみたいなあいつ。
高校3年の途中から行ったアメリカ留学で、辛いことがあって自分でも気付かないうちに拒食症になっていったらしい。
留学から帰ってきたあいつは、あたしが片手で持てそうなくらいにお肉がなくなってた。
でも何故かおっぱいはあたしより大きかった。
それ以降はなかなか予定も合わずに会えなくて、話は聞いてたし連絡はとってたけど、ちゃんと話すのは本当に久しぶりだった。
久しぶりに会ったあいつは元気そうで、あたしも抱きついて喜んだ。
最初は誰にも言いたくなくて1人で抱え込んでた時期もあって、1番症状が重かった時期には骨と皮と臓器だけになってたらしい。
何が原因かも分からなくて、どう止めたらいいかも分からないまま、うちらが呼吸するのと同じように拒食すること吐くこと・過食すること食べることを止められないらしい。
入院してた頃には、脳に栄養もまわらず、考えることもできずに病院のベッドの上で起きる・寝るを繰り返していたらしい。
何度も転んで、あざだらけになってたらしい。
人間が生きるために1番基本的で必要なことって「食」でしょ?
その、人間が辞めることを辞められない根底的な部分でずーっと「生きること」「死ぬこと」を繰り返して、意識もしっかりしてて思考もできてるのにそこから抜け出せないって、何よりも孤独で辛い地獄だと思った。
高校のときは、毎日けらけら笑って、いっしょに踊ったり飲んだり走り回ってたのにあいつの身に何が起きたの?
抜け出すきっかけは人それぞれで、「これ」って治療法はないんだって。
やりたいことを見つけて徐々に元の自分に戻る人や
テレビを見て突然「彼女が欲しい」と思って治る人とか
「頑張る」と「無理する」って別物だよね。
そんな自分との闘いを抱えてるあいつでも、「社会から見る一般的なこと」と、「自分に合ってることを無理しないでやる」ってことが正しいのかどうかまだ悩んでる。
人って生きてるうちに自分に合った道ってのを自然に見つけていくんだろうね。
それを乗り越えた先にもずっと変わらない幸せはないかもしれないけど、乗り越えたからこそ見れる世界ってあるよね。
何かさ、先を見つめてるあいつの目はたまに悟りを開いたような仙人みたいな目しててさ、
「どん底を見たからあとは得るモノしかないと思ってる。」って言ってた。
あたしは、何かを超越したあいつを格好良いと思った。
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